男は寂しがり屋だった。
例えば、男がまだ小学生だったとき。遠足で行った広い草原でのことだ。昼食の時間になり、各々がレジャーシートを敷いて場所を取るとき、男は必ず、人に囲まれ、誰とでも話せる場所を選ぶ。席替えでは、周りに人がいないと落ち着かない。登下校は、できるだけ友達と帰ろうとする。
周りに、決まった半径に、誰かといることが、男に安心感をもたらす。
中学に上がった頃、部屋はぬいぐるみに囲まれていた。返事がなくても、その容姿、キャラクター性に問うことで、寂しさを埋めるようになっていた。一番の仲良しは、猫のぬいぐるみの、晴太。名前の由来は、学校で一番話す友達だった。猫の晴太は、男の返事に、何も返さない。それでも男にとっては、気さくな返事をしてくれる、友達。偶像の空間。
それでも男は寂しさを埋めることができない。
高校に上がった頃、部屋は本で埋め尽くされていた。本を開けば、そこにある多彩な言葉、残酷な物語、説得するような語り。男は寂しくなると、すぐ近くにある本を開く。小説は現実も虚言も含め、文字の海、意思の海だ。男の妄想は広がっていき、少しずつ、寂しさを埋めていく。想像の空間。
言葉による寂しさを埋めたとき、次に欲したのは形だった。
大学に上がった頃、男の部屋には複数のマネキンが立ち並ぶ。男のマネキンも、女性のマネキンも並ぶ、男が求めたのは、人という形。ふと友達と話したいとき、男性型のマネキンに後ろから手を回し、話しかける。その肩幅と、胸は、男特有のもの。性に寂しいときは、女のマネキンの胸を指でなぞり、首元に口づけをする。その曲線、細さは、女特有のもの。実物は想像を凌駕し、男の寂しさを埋めていく。造形の空間。
偶像、想像、造形。様々な形で半径を埋め、寂しさを紛らわせる。しかし、いまひとつ、足りないものを知る。小学生だったとき、遠足の昼食のときにあって、この空間にないもの。
男は仕事先で、仲の良い同僚を飲みに連れ出した。酒の飲み比べと称して、潰し。家に持ち帰り、バスルームへと運ぶ。男はまず、同僚が起きないように、心臓がある辺りに、深く、ナイフを突き刺す。同僚が痛みで覚め、暴れ出す。男が昔読んだ本とは違う反応だったことから、心臓を刺せなかったと気づき、再び胸にナイフを突き刺す。何度も何度も刺して、男が動かなくなった。同僚の、死への恐怖と苦痛から歪ませた表情に、男は少し悲しそうな顔をする。男は、同僚の顔を、細長いナイフで、切り取る。慎重に、慎重に切り取り、それを軽く洗い。自室へと持っていく。
部屋には、七人の顔が飾ってあった。どれもこれも、歪めた表情をしている。男は同僚の顔を部屋に貼り付け、少し離れて、部屋を見る。男だけに向ける、表情、そこには物語があり、キャラクター性があり、形がある。感情の空間。
バスルームに戻った男が、死体を見下したとき、頭からゼリー状の肉片が出ているのを見つけ、男はまた一つ、寂しさを埋める方法を思いつく。
妖怪三題噺「空間 顔 丸」