その黒髪の中の、冷ややかな目が、好きなんだ。
ある冬の晩、彼女の鈴世と喧嘩をした。些細な喧嘩だった。鈴世は、俺の目さえ、見てくれなかった。
その時期、喧嘩は頻繁にあったんだ。些細な喧嘩は重ね重ね、時間の解決に頼っていた。だから、お互いがお互い、鬱憤は溜まっていたと思う。
鈴世が俺の目を見なくなって、どれぐらいが経ったか。
でもそのときは、気付けなかったんだ。いつも通りの喧嘩、きっとまた時間が解決してくれる。それでいつまでもいつまでも、一緒にいられる。鈴世は永遠に俺のモノ。そう思っていたんだ、きっと、いや、俺は馬鹿なんだ。
過ちというものは、過ぎてから気付くものだった。
「もう、ダメだと思う」
その「もう」というのに、どういう意味が込められているのか、数秒考えて、可能性として「ずっと考えていた」ということに気づいて、それはつまり、この数日の間、二人の関係に希望を抱いていたのは俺だけだったという推測を立てて、イラっとした。
違う、気に入らなかった。
「一応聞くけど、なにが?」
「この先の時間」
鈴世が抽象的な表現をするときは、大抵マジのときだった。
「なんで?」
「そうやって聞くのがもう、終わってるよ」
逆撫でをしたらしく、鈴世は俺の部屋にある荷物をまとめ始めた。
「待てって」
「待たない」
「こっち見ろよ」
きっと、俺のその要望は本人にとって重要に捉えられることはなかっただろう。目って、俺にとっては重要なことなんだけどな。
だからこそ、鈴世は言ったんだ。
「死んでも見ない」
次の瞬間に、灰皿で鈴世の頭を殴っていた。何度も何度も。抵抗していたのも俺の目には見えてなくて、それで、何度も、何度も。
六畳の俺の部屋の中。鈴世は机の脇に、腕を伸ばしうつ伏せに倒れていた。死んでいた。考えたこともない未来だった。
不思議なことに、スカッとした感情と、後悔の感情を自由に行き来することができた。まるで多重人格のように。
妙に、冷静だった。
鈴世の死体を、ひっくり返した。薄く、目が開いている。それは、少し、あの冷ややかな目のような、それ以上のものだった。いくらでも、見つめてられる。
どれぐらい時間が経ったんだろう。時の経過を、濁った鈴世の目を見て、気づく。
窓の外は真っ暗だった。街灯の気配も感じない。廊下の奥はどこまでも続いていて、天井はどこか、高かった。
ああ、叶うなら……
朝の光で目を覚ました。
隣では、鈴世が俺に背中を向けて、寝息を立てている。
起き上がって、鈴世を起こさないように台所へ向かって、煙草に火を付ける。
夢の内容は、はっきりと覚えていた。ライターが、手汗で滑り落ちるほど、鮮明に。
安堵をする。夢の中の過ちは、あり得ることで、もう少し鈴世への接し方を、改めるべきだと考えた。
しかし、それと同時に、鈴世の死んだ目も、忘れることはできなかった。
過ちは過ぎてから気付くもの。
成功は行いの後に見えるもの。
煙草の灰が、床に落ちる。
「もう一度」
nina_three_word.
〈もう一度〉という台詞。