kurayami.

暗黒という闇の淵から

湯冷めした者より

 休日、木曜日の午後。郵便受に、質素な封筒に包まれた手紙が入っていた。
 送り主は、匿名だった。

 封筒には、汚い筆跡で住所が書かれていた。漢字で蓋をするべきものが、蓋をされていない。平仮名の「い」と「り」の区別が怪しい。この筆跡を知っている。
 部屋に戻った僕は、彼女に買ってもらった真っ黒なマグカップに、ドリップコーヒーを薄めに入れ、お気に入りのスピーカーで曲をシャッフルで適当にかけた。偶然にも、彼女も好きなバンドの曲が流れて、嬉しくなる。
 手紙とコーヒーを持って、窓際の木製のチェアに腰をかけた。封筒の端を手で破いて、中身を引っ張り出す。それは、やっぱり質素なデザインの手紙だった。


 真庭浩司へ
お前に言いたいことがあって、筆を取った。これから先に期待するべきじゃない、これは忠告だ。
恋人にも、友人にも恵まれたその時間が、一生続くと思うなよ。あっという間にそれは無くなっていく。そんな希望はロクでもない。
お前は僕みたいになってはいけない。例え心地の良いぬるま湯でも、取り上げられてしまえば、湯冷めをする。一生治らない風邪だ、病気だ。
そんなことになったら、最悪の時間を過ごすことになる。覚悟しておけよ。
 湯冷めした者より

PS お前が今使っているマグカップは、近いうちに壊れるぞ。 


 読み終わった僕は、台所に腰をかけて煙草に火をつけていた。手紙は、どうやら幸福な一時を引退した人からのようだ。
 煙草の煙を、大きく吸って、勢いよく吐いた。煙が一瞬空中に留まり、換気扇の方へと流されていく。
 この手紙は送り間違えだ。ただし、宛名は間違いなく、僕だが。
 〈湯冷めした者〉と僕は、大きく違う。
 僕は今、この恵まれた幸福にはいつか、最悪か最高かの形で終わりが来ると、わかっている。どんな形であれ、全てに等しく終わりは来る。友人にも、恋人にも。家族にも。
 今の彼女とだって、いつか、何かしらの終わりは来るんだ。だけど、今のところは大好きで愛しているから、終わりそうならば心中を望む。なんとかして、終わり方ぐらいは、選べないものだろうか。
 〈湯冷めした者〉と僕との違いは、終わりへの覚悟だった。
 終わりを知らない末路と、知る末路は大きく異なるだろう。その中でも、この手紙は終わりを知っている僕の元へと届いた。
 僕は仕方がなく、この手紙を送り返してやることにした。ついでに、現状の湯の熱さも、同じデザインの質素な手紙で教えてあげることにした。
 それはもちろん、匿名で送り返すと決めている。
 

nina_three_word.

〈 引退 〉

〈 匿名 〉

〈 湯冷め 〉