kurayami.

暗黒という闇の淵から

見知らぬオリーブ

 私が殺人を犯し、山の中へ逃げて四年目のこと。
 夕立が降った、初夏のことだった。
 天気が変わりやすい山にとって、夕立自体は珍しいものではない。
 珍しかったのは、その日の来客だった。
 玄関で物音がしたのが気になって覗いてみれば、少年が雨宿りをしていた。
 歳は七か、六と言ったところだろうか。坊主頭だが、少女のように小さい口と、大きな目を持っている。膝には、転んだのか大きな擦り傷があった。
「あっ……」
 私と目が合った少年が、声を出した。そして次の瞬間に「ごめんなさい」と言って駆け出そうとして、私は引き止める。
「待て待て、何も、怒ってはいない」
 不気味な黄色い空の下。雨の中で立ち止まった少年に私は駆け寄った。
「罪の意識があるとは感心した。君、足を怪我しているだろう。それにこの雨だ。簡単な治療をするから、中に入るといい」
 そう言って私は、半ば強引に少年の手を引っ張り、中に引き入れた。
 夕立が降る、初夏のこと。
 少年の小さな膝に消毒液をかけ、大きめの絆創膏を貼り、治療をした。
「有難うございます」
「礼も言えるとは、育ちがいいじゃないか」
 些細なことで少年を甘やかす。私は久しぶりの来客に、盛り上がっていたのかもしれない。
「お姉さんは、どうしてこんな山の中に住んでいるの?」
 髪も肌の手入れもしていない、すっぴんの私を〈お姉さん〉呼ばわりしたことに、少し動揺し、すぐに隠した。
「……麓の連中に少し、嫌われていてな。だから、私と会ったことは誰にも言うな。君まで嫌われてしまうぞ」
 嘘は言ってなかった。そう言って私は、少年の膝を笑顔で叩いて誤魔化す。痛かったのか、少年は小さく肩をあげて反応した。
 雨が止み、少年が帰る間際。麓まで送れない私は、少年に古い提灯を持たした。
「すまんな。送れなくて」
「いえ、いえ。なにからなにまで、有難うございました。その、ぜひお礼を……」
 少年が、上目遣いで言う。
「いやはや、そんなものは良い。代わりと言ってはなんだが、たまに私の家を訪ねてはくれないか。女の一人暮らしというのも退屈でな」
 それは、私の本音だった。私利私欲から出た発言だった。半牢獄のような暮らしの中、今日のような来客があると、乾いた心情を潤してくれる。
 そして、少年が暗闇の山道の中に帰って行った三日後。
「ごめんください」
 声がして玄関を覗けば、あの少年が立っていた。
「お、おお。もう来てくれたのか、いらっしゃい」
 嬉しい反面、懐かれてしまったのと、心配する。
「あの、これ、つまらないものなのですが」
 そう言って少年が私に渡したのは、雑誌だった。
「なんだい、これは」
「お姉さん、下に降りれないと言っていたので、下のことがわかる雑誌です」
 そう言ってる少年を他所に、私は雑誌のページを捲った。
 その雑誌には、私が知らない四年間の、下界の情報が載っている。
「なるほど、これは助かるな。有難う」
 私が山に逃げている間に、下界は私を置いて随分と変わったのか。
 それから度々、少年は私に下界のものを持ってきた。新聞や、見たこともないような食べ物、馴染みのない衣類。
 少年が持ってくるものだけが、私が唯一下界を知る手掛かりた。
 私にとって少年は、オリーブを運んだ鳩のよう。
 だがしかし、少年がこうして私にものを運ぶようになって、もう一年になる。
 少年はまるで、成長していなかった。昨日初めて会ったかのように、姿形が変わってない。
 絆創膏は会ったその日から、ずっと、その膝にある。
 今日もまた、少年が来た。持ってきたのは、朽ちた白い石のようなもの。最近は石やら、乾燥した花のようなもの。
 少年よ、君は何者なんだ。そして、君が持ってくるこれは、本当に下界のものなのか。

 いや、下界はまだ、本当に存在しているのか。
 

 

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〈 鳩 〉
〈 夕立 〉
〈 絆創膏 〉
〈 私利私欲 〉