kurayami.

暗黒という闇の淵から

サナギ

 夏の陽射しが、私に鋭く刺さって苦しめている。身体の外と内側から熱を放出して、貴重な水分を汗に変える。
 そんな熱の悪魔が、私の目的を一瞬だけ掻き消して、十字路の真ん中で足が止まった。
 私は、何処へ向かっているんだっけ。
「お姉ちゃん、もしかして迷子?」
 十字路で宙ぶらりんになった私に、一人の女の子が声をかけてくれた。
 熱が少し引いて、目的を思い出す。
 この街の、市役所。
「こんにちは。うん、少し迷子になっちゃって……市役所に行きたいんだけれど」
「こんにちは! 市役所? お姉ちゃん引っ越してきたの?」
 女の子は元気に、挨拶を返してくれた。
「そうなの、この前引っ越してきたばかりで」
「ふうん。市役所……うん、市役所わかるよ。教えてあげるよ」
 そう言って女の子は、私の返事を待たずに、十字路の奥へと走っていく。
「はやく、はやく」
 私は女の子に誘われるがまま、複雑な街の奥へと進んでいった。
///
 住宅街の細い隙間。木々が作った影の中を、女の子を先頭に私は歩いている。
「なんでこの街に引っ越してきたの?」
 先に行く女の子が振り返って、私に聞いた。
「えっと、仕事で」
「大変そう。ひとりぐらし?」
「そう、そう。一人暮らし」
「いいなあ! お母さん許してくれたんだ?」
 お母さんが許すとか、そういうのじゃなくて、はやく独り立ちをしないといけなかったから。いや、そんなことをこの子に言う訳にもいかなくて、私は「まあね」と返す。
 細い隙間を抜けた先、広い公園に出た。女の子は「こっちこっち」と公園の中へと入って行く。私が黙って付いて行くと、女の子は何でもない顔でフェンスを越える。
「ここ、行くの?」
 私は恐る恐る聞いた。
「ここが一番の近道なの!」
 女の子は自信満々に言う。子供って、そうだ、道のない道を堂々と行く。それは楽しいからであって、道という固定観念に囚われていないから。
 私が、道の上しか歩けなくなったのは、いつからだろう。
///
 流されるがまま、元いた街を去った。なりゆきで待遇の良い仕事に入って、この街に訪れた。そこに私の意思はあまりなくて、文句も言えない。
 このまま、許されていたサナギから、許されない大人へと、羽化していくのだろうか。
 いや、もう、羽ばたかなければならない。もう誰も、待ってくれない。時間は夏の暑さのように、私を追い込んでいくのだから。
 それなのに、そのはずなのに、なぜだろう。少しだけ、泣きたくなる。
「お姉ちゃん、疲れたの?」
 黙っていたのか、それとも顔に出ていたのか。女の子が私を心配した。
「ううん、大丈夫だよ」
 いつの間にか、大丈夫、疲れてない、って言わなきゃいけなくなった。
「ほんと? もう少しで市役所だよ」
「うんうん、頑張るよ」
 女の子はいつまでも元気だ。それは許されているから、なんかじゃなくて、もっと目に優しいものを見てるから。健康だからだ。
 私はきっと、この子に案内され切ったとき、市役所に書類を提出して、醜い羽を伸ばし、羽化するのだろう。
 もう戻れない。

 一歩一歩が、とても重くて、汗も、流れなかった。

 

 


nina_three_word.

〈 道案内 〉
〈 羽化 〉
〈 汗 〉