kurayami.

暗黒という闇の淵から

エスシーエス

 砂浜が僕の足を取って、踏み出す足が重かった。
 振り返ると彼女が少し遠くてしゃがんでる。白いワンピース風の水着が、黒と藍の景色の中で主役になっていた。
 この海岸には、僕らしかいない。
 雨の日に海に行こうだなんて我儘を言う彼女がいて、夕方海に着く頃に雨が綺麗に晴れ上がる。そんな〈普通じゃない〉が揃って、僕らだけの海岸に辿り着く。
 風が鈍い音を立てて、砂浜を叩いた。もうそろそろ日が沈む。
 もう一度、僕は振り返った。相変わらず、彼女は夢中になって貝殻を探している。
「ねえ、思い出にさ、二人で貝を作ろうよ」
 二枚貝の片割れを別々に探して、僕らだけの二枚貝を思い出に作りたいと彼女が言った。
 正直面倒くさいし、それが思い出になるのかと少し疑問に思う。どうせ時間と共に捨ててしまうだろうに。
 だけど、あの笑窪を浮かべて無邪気に歯を見せながら提案する彼女を、拒否する彼氏がこの世にいるのか。
 いたらそれはきっと、あの子の彼氏じゃない。あの子の我儘を拒否するだなんてことは僕が許さない。なにより、あの子の彼氏は僕だ。
 つまり、何かと言うと、僕は彼女に心の底から惚れ込んでいた。
 また心配になって振り返る。遠く、手のひらに乗りそうなほど小さくなった彼女が、僕のことを見ていた。目があったことに気付いた彼女が大きく手を振る、多分笑窪のある顔で。僕と離れている間は、危ないから海に入ってはいけないって言ってあるけど……心配なさそうだ。
 沈みかかった陽が海面に揺れて少し眩しい。ここら辺で良いのかな。見下ろした感じ、貝は全然見当たらないように見える。しかし、しゃがみこんで目を凝らせば、幾らか砂の中に埋もれている貝が見えた。まるで夜空の星だ。
 引き抜こうと手を伸ばすが、なかなか引き抜けないでいた。昨晩彼女に切られた深爪がここに来て不利になる。引き抜けたかと思いきや割れた貝だったりして、首をうな垂れて落ち込む。
 困り果てた僕は、手を後ろについて座り込んだ。夕空に深爪した片手をかざしてみる。
 二枚貝を思い出にしようとするのはわからないけれど、こうして彼女が深く切った爪は、どこか愛おしい。
 彼女に言ったら理解してくれるかな。してくれなくてもいい。「なにそれ」って、あの笑顔を見せてくれるなら。
 後ろに置いた手が、硬い何かに触れた。拾い上げてみれば綺麗な形をした、黒っぽい二枚貝の片割れ。
 彼女が喜んでくれる。そう思った僕は思わず、すぐに後ろを振り返った。
 夕闇が伸びて、彼女の姿が見当たらない。
 僕は彼女がいた場所に小走りで向かった。遠くて見えないだけ、近付けばそこにいる。帰ったら塩焼きそばを一緒に食べよう。帰り道は何処かに寄ろうか。夕暮れの砂浜が綺麗だね。やっぱり、好きだ。
 そんなことを、虚しく思って。


 彼女はそれ以来、雨上がりの海以来、行方不明のままだ。
 片割れの貝を、残して。

 

 

 

 

 


nina_three_word.
二枚貝
〈 深爪 〉
〈 笑窪 〉