あの降り止まない〈悪夢の雨の厄災〉の日以来、僕はずっと長靴を履いている。
陽の温度や眩しさなんて忘れた頃に、もう飢えて死ぬだろうという頃になって、雨は止んだ。
降り始めてから、約一年後のこと。それが、一週間前のことだ。
傾いた団地の棟の最上階から、陽の隙間が出来た曇り空を見上げた。意外にも心は穏やかだ。まるで、晴れた空を見て「やっと遊びに行ける」と、休日の中で雨を止むのを待っていた少年のように。
しかし、遊びに行く相手なんて、この世界にまだいるのか。
少なくともこの棟の住人は、一人残らず全員死んでしまった。
それはだって、僕が。
そもそも僕は、この棟の住人ではない。この棟に住む友人の元を、雨の中訪ねた身でしかないのだから。
錆びついた鉄の階段を慎重に降りていく。乾いた涼しい風が、首筋を優しく撫でた。雨のない透明な視界が、遠くまで見ることを許した。そんな当たり前のことがとても懐かしく感じる。
それもそうか。一年、僕らは一年、雨に。
いつの間にか一年、歳を取っていた。少なくとも僕の誕生日のときには、友人は目の前にいたっけ。
あの日、友人の家に着いて豪雨はより勢いを増していった。「今日は雨だから泊まっていけよ」だなんて、少し楽しくなるようなことを友人が言っていたのを覚えている。
朝には道は川になって、全ての住人は閉じ込められてしまった。
少しぬるっとした最後の階段を降りると、浅い川と化した道が目の前に広がった。よくわからない植物が流れて浮いている。僕は長靴を履いた足で、恐る恐る川へと入っていった。
なんてことのない水嵩。外へ出れることに、僕は胸が高鳴る。
道だった浅い川の中、流れに逆らうように前へと進んで行く。日光と栄養不足で貧弱になった身体が叫んでいる。
曇り空がいつの間にか大きく散っていて、鋭い直射日光が僕を刺した。
ああ、この感じ。この暑さ。今は……夏なのか。
足元の冷たさと壊れた町。白い肌を黒く染めそうな夏の日差し。そんな混沌の中を、僕は絶望へと重たい長靴を引きずって歩んでいる。
何故なら、そのフェンスの向こうには、僕の町と家が見降ろせたはずだったから。
そこからの景色はいつだって綺麗な夕焼けが町を染めていた。
しかし、今そこから見えるのは、大きくて歪な、無いはずの湖。
ああ、この荒れ果てた町にはきっと、僕を知る人だなんて誰もいない。家族も友人も、誰も。
神様、これがお前の予定調和だと言うのなら、親しい肉を食らってまで生きた僕も予定調和なのか。
全て流され、存在しないお前を恨む僕を、遣らずの雨の跡に取り残さないでくれ。
nina_three_word.
〈 長靴 〉
〈 日焼け 〉
〈 予定調和 〉