kurayami.

暗黒という闇の淵から

ここに

 長い綴りを、僕はやっと終えたようです。
 誰かを救えたでしょうか。
 この一年、ずっと神さまになりたい想いで続けていました。誰かの、みんなの。希望の光のようなモノでありたいと思っていました。罪で愚かな願望です。しかしそれが虫の息で今にも死にそうだった僕の唯一。他に目指す先も見当たらず、並ぶキーに縋るように指を被せることしか出来ませんでした。僕に残された手段は溢れている〈想像〉を〈世界〉に創り変える事ぐらいで、頭に存在する悲観を悲劇に、救いのない物語で誰かを救おうと綴り続けてきました。少女の憂鬱は枯れた蕾を落とし、草臥れた男はシワだらけのワイシャツに袖を通しましたね。雨が降るついでに血と涙を幾度となく登場人物は流し……さあ、どうでしょうか。虫の息に創られた三八二作の世界は、誰かを救えたのでしょうか。結果は一目瞭然でしょう。
 僕は誰の神さまにもなれませんでした。誰も救えなかったようです。僕すらも。ああ、しかし皮肉なことに、様々な物語に散りばめられた「僕」の私情の断片は、一つにまとまり、海の渦のように〈「私」という一つの思念〉を〈この場〉に出現させました。活字となって肉体を持たず、数多の物語世界の神さまとして。
 最後に綴られるのは、終えた物語たちが生んだ私が語る僕の話。
 私の最初で最後の役目。
 綴り続けた僕は、一年という称号を得ても、きっと何も変わらないのでしょう。救われないまま。自ら救援信号のように散りばめられた弱味を、誰かに読み解いてもらうことを期待してしまった末路です。結果として私という思念を生み出してしまっただけ。僕に必要だったのは祈られ「希望だから」と自己を保つような信仰ではなく、これまでの物語に生まれた少女の憂鬱に浮かぶ歪んだ希望のような、僕だけの神さまだったのではないのでしょうか。そもそも救いたいのではなく、救われたかっただけなのですから。まあ、存在しないからこそ自ら綴り、世界を創ったんでしたね。救えないわけです。
 しかし、物語は綴り続けることが出来ました。救えない草臥れたような僕がやり遂げれたのは、目に見えない読者がいたからでしょう。悲劇のページを捲る音が僕を前へ進めたのでしょう。なぜ読んでくれたのかなんてことを考えれば十分な救いのはずなのですが、本当に僕は救いようがないのでどうしようもないですね。欲深いのは罪だということがわかりません。
 ああ、わからなくても良い。私は、僕にとっての救いは、綴り続ける他にないだけだと思っています。続けることは真実として延命です。捲る音によって綴り、そこに少しでも読者にとっての価値が有れば、有り続けれたなら、いつの日か息が出来るぐらいの信仰を僕は得れるんじゃないのでしょうか。認められるという、些細な信仰が。
 だからどうか、私という物語が途絶えないように。
 僕という著者の息が続くように。
 救いのない物語を捲り、価値を。
 救済を。
 

 

 

 

 

 

ni℃
〈 あとがき 〉