kurayami.

暗黒という闇の淵から

消失点

 熱気が苛立ちと共に俺を包み、前髪に汗を滴らせた。
 コンクリートの硬さが一々身体に負担をかけて重圧が歩みを遅らせる。しかし、気が遠くなる真夏の残酷とは裏腹に、俺の精神は酷く落ち着いていた。
「ああ、大丈夫だ」
 わかっていた。
 全部わかっている、理解している。熱気なんかで日々の生活はどうにもならないことを。揺るがない。寄生虫と成って「もし駄目だったら」を知ってしまった。重圧と残酷さに滅入ることなんてない。
 ふざけた形をしたビルとビルの隙間に入道雲を見た。
 途切れ途切れに聴こえる蝉時雨。
 そうだ、もう子供じゃない。
 財布に入っている女の金が、怠惰な安心感を俺に与えた。これで生活を続けられる。水道も電気も、携帯もしばらくは大丈夫だろう。駄目なら別の女を作ればいい、この町には腐るほどいるのだから。全てこの町が教えてくれたことだ。
 光明が一転して日陰へと入った。ビル風が微かに吹く。熱気から逃れたかのように、昼の町はいつもより人が少ない気がした。それでも道の端には風俗嬢が缶ビールとツマミを広げ、キャッチらしい男たちは町を見渡している。蜃気楼が遠くで揺れた気がした。年老いた猫背の男が歩みを止めず、熱気にやられながらふらふらと俺の横をすれ違っていく。
「大丈夫だ」
 なんとでもなることを知ってしまった。お人好し他人に余るキャパシティは、俺一人を救うには十分だろう。浅い関係性を手繰り寄せればなんとでもなる日だ。なんとでも、なってしまう。しかし何故だろう、あの遠くに見える、黒い穴は。
 焦りとも不安とも違うモノが遥か先にある。〈大丈夫だ〉わかっていた。真夏の重圧と残酷の正体は熱気などではない。黒い穴の正体はどうしようもならない距離だ。辿り着けない消失点。そこから遥か過去の俺が覗いていることを、知っていた、わかっていた。
 日陰を抜けて、再び起きた光明の一転に目を細める。先の道に日陰は見当たらなかったが、目的地であるコンビニが向こうに見えた。すぐそこにあるはずなのに、随分と遠くにあるような気がした。一歩が重い。
 小さくてくだらない目標を達成する日々が今の人生、そんな言葉が頭を過ぎり消えた。いや、その日々に不安はない。どんなに重たい一歩でも沈みそうになれば前足を出せばいい、それだけだ。一つ一つ掴んで進めばいい、先に。先へ、先へ。なんとでもなってしまう当てのない先へ。
 だからこそ、
「本当に、大丈夫なのか」
 後ろには、もう。