kurayami.

暗黒という闇の淵から

胎児回帰

「ひよめきが出来てますね」
 医師は椅子をくるんと回転させて、向き合った女性……詩織に診断結果を告げた。
「ひよめき、ですか?」
「ええ、聞いたことないですよねえ」
 意識が最近微睡む、頭のてっぺんが熱くて微かに頭痛。そんな症状に悩んで外科を訪れた詩織は、聞いたことのない言葉に不安になる。
「まず結果から言うと、貴女は〈帰る〉ことになりました。死ぬわけではないんですが、まあ、この時間の人たちとはお別れをした方がいいです」
「え、え……〈帰る〉……ですか?」
「あまり事例がないので、驚くのも無理はありません。元はと言えば、山々に住み着く〈無彩色のアヤカシ〉の一種から流行った病だとも言われていますが、痛いもの哀しいものではないので問題ありません。むしろまた新しく生まれるのですから、若返りのようなものですよ」
 医師から発せられる知らない言葉に、詩織は混乱した。
「あの、えっと、私は何処に〈帰る〉んですか」
 慌ててした質問は、数ある中でも漠然としていて、詩織は間違えたと少し後悔する。
 しかし、その質問は見事に的を得て、詩織の混乱を動揺へと変えた。
「母の中に、ですよ」
「母、ですか?」
 医師が言った「この時間とお別れ」「新しく生まれる」という言葉が、詩織の中で意味を持って、確かに響いていく。
「ひよめき。それこそが別名で、実際は泉門と呼ばれるものです。生まれたての赤ん坊の頭蓋骨にある骨で、まあ硬い頭蓋骨のパーツを繋ぐ柔らかい骨、とでも言いましょうか」
 詩織は医師の言葉に頷きも出来ず、意味を固めながら話を聞いた。
「軟体性を持たせる意味、それは産道を通るためです。詩織さん、お母さんはお幾つですか?」
「その、母はもう既に、他界していて……」
「ああ、そうなんですね。しかし、同じ血液型の女性であれば問題ないんですよ」
 それはつまり。冷や汗を出す詩織は、自身の運命をもう悟っている。
「貴女を産み直してくれる女性を、探してください。もうあと二週間で、貴女は赤子になってしまうのですから」
 私を身体に収め、再び産む人。
 詩織の中で心当たりのある人は、親戚でも姉妹でもない。唯一愛している、恋人の泉美だった。

「ん、わかった。いいよ」
「本当にわかったの?」
 詩織が震える声でした告白に、泉美は二つ返事で答える。
「私が詩織のお母さんになるってことでしょ」
「そうだけど、そうじゃなくて」
 基本的になんでも「いいよ」と言う泉美に、詩織は不安になった。
「私を、その、身体に入れて、お腹の中で育てて、また、産むってことだよ?」
「うん。いいよ」
「でも」
 もうしばらく会えない。次に会う時には記憶がないかもしれない。そんな不安はもう意味がないことはわかっていても、泉美の返事はあまりにもあっさりしている。
 改めて状況を飲み込めなくなって、詩織は泣き出しそうになった。
「ええ、もう、大丈夫だって。残り二週間しかないんでしょう? 明日は遊園地にでもいこっか。ああ、もちろん仕事は全部休むね。産休? になるのかな」
 いつも泉美はそうだ。と詩織はため息をついて泣き出す。
 余裕を常に持って、詩織を甘やかす。
 詩織の頬を触りながら「大丈夫、大丈夫」と、泉美があやした。
「あ、あと、二週間しか、ない」
「二週間もあるよ」
 泣き続ける詩織を、泉美が優しく抱きしめる。
「ねえ、私を選んでくれて、ありがとね」
 泉美は詩織から見えない角度で、微笑んだ。
 優しさと同情、嬉しさと切なさ。交わる混沌と狂気を隠すように。

 二週間後。詩織は見事に、胎児の姿へと戻り、手術と回帰の日を迎える。眩しい光、微睡みから深く落ちる瞬間。詩織は泉美の喘ぐ声を、暖かさに包まれて、ピンク色が綾なす中で、確かに聞いていた。
 そして泉美は、自身の中に愛しい詩織が入って〈帰る〉のを身で感じ、身の底から震えている。
 母の、かんばせで。

 

 

 

 

 

 

nina_three_word.
〈 あやなす 〉
かんばせ
〈 ひよめき 〉