kurayami.

暗黒という闇の淵から

オーバーレイン

 今から三百年程前の話。そして、医学というものが存在しない過去世界でのこと。治療者が居ないがため世には病が蔓延していた。女は内臓を焼かれるような痛みに襲われ、男は骨が崩れるような苦しみに見舞われている。子供は目眩と幻覚に囚われて、老人は自覚と言葉を失っていた。人々は救済を許されることもなく、ただひたすら、病に侵されている。
 ある一日を、除いて。
 旧暦五月五日。薬日と呼ばれる一年に一度のその日を、世界中の誰しもが待ち望んでいた。恐らく子の出産よりも、恋人との再会よりも何よりも。人々が仕事を放棄して何もしない日。
 それは、病からの脱獄出来る唯一の手段。
〈五月五日薬日午後。薬降る〉
 遥か昔から、太陽と月のように存在していた。どんなに晴れていても、必ず五月五日午後には大雨が降る。それも、ただの雨ではない。
 口に含めばどんな病をも治癒する、神の雨水。
 雨水は女の内臓を鎮火するように優しく癒す。男の骨を元の質量に再生させる。子供の眼球から涙と共に揺れる幻を洗い流す。老人は生き返るように意思を取り戻す。
 病はその日に全て、リセットされる。
 まさに神の祝福。雨が降り注ぐ間、口に含めば誰しもが苦しみから解放された。どんな苦しみも人々が望めば望むだけ解放されていく。例えそれが、気の病でも。
 故に欲を暴走させ、頬張るように飲みだす者もいた。
 無限の救いは欲を乱す。朦朧とする病の中で孕み生まれた憂鬱、狂気、哀愁、憤怒。それらの内なる脳に秘めた気の病すらも、雨水は洗い流し治癒する。ただし、洗い流すだけだ。消失された苦悩の穴はぼっかりと空いたまま、代わりで埋まることはない。それでも解放を望み頬張る者たちは雨水を飲み続けていく。そして虚無となった空いた穴の苦悩すらも、雨水を頼りに埋めていた。
 雨水は中毒となり、苦悩を掻き消し続けることを止めれない。
 解放を続けた末路。頬張る者たちは自ら養分を食らって木垂る枝のように衰弱していく。辿り着いた先は生からの、世界と身体に縛られることからの解放。しかし衰弱しても、頬張る者たちは誰しもが安らぎの表情を浮かべていた。正真正銘の苦の無。雨溜まりの中で訪れる死を、怖がる者など誰もいない。
 それが今から三百年前。
 今現在に繋がった多くの世界の中の、ある物語。
 西暦となって医学が何処からともなく生まれ、人々は一年に一度の雨に縋る必要はなくなった。病にはそれぞれ治し方があって治療者がいる。
 しかし、今でも、消失した〈五月五日薬日午後。薬降る〉は、いつかの六月の午後に降り注いでいると言われている。
 密かに頬張る者を、雨雲の下に招いて。

 

 

 

 

 


nina_three_word.
〈 頬張る 〉
〈 薬降る 〉
〈 木垂る 〉