kurayami.

暗黒という闇の淵から

チョコと雨

「実はさ、こうして僕が世界に出てくるのは初めてじゃないんだよ」
 細長いカフェの奥。俺と対面する長髪の男は目を合わせず、窓の外を見て呟いた。視線の先には気配を消したラブホテルが建っている。
「というと?」
「初めては多分『ドーナツ神話』かな。『生温い告白』も出たし、その次の日の『許された恋』なんてがっつりと出てる。他には『君とエーエム』とか、あと三題噺をオマージュにしたやつとか。最近なら『僕が知らない時間』にも出たよ」
 男はアイスコーヒーの中に入った氷を、ストローでかき混ぜた。
「いや、見方を変えればもっと出てるのか。なんだったら一番最初に書いた、某文芸誌に載ってる作品『傷の降る手首の話』だなんて僕が今みたいにアイスコーヒーと共に語りだすし」
「良いのか。その、そんなにでしゃばって」
 俺の言葉に男の遊ぶ手が止まる。袖を捲った腕には数本の線が見えた。
「そうだねえ。そういう芸風だって言い張りたいけれど、あまり良くないよね。だってそれって創作かどうかも怪しい。というか、ずるい。面白ければ良いんだけどさ」
「なら、今日は」
「今日は……〈メタ〉だから良いんだよ。僕も仕事で疲れているんだ。出題単語にぐらい甘えさせてくれって」
 椅子に深く座って、男は駄々を捏ねるようにぼやいた。ああ、そういえば今日って何曜日だっけ。
「月曜日だよ」
「ト書きを読まないでくれよ」
「一人称視点で君が主人公なんだから仕方がない。ちなみに三五七日目の作品だ」
 とことん〈メタ〉だなと思った。目の前のキャラメルマキアートはまだ冷めない。
「今日はいつもみたいに〈くたびれた男〉の話にしないのか」
「僕と君がもう、そんなところあるし、何もわざわざ過去や未来を今考える必要もない」
「いや、俺は別にくたびれてなんか」
 続きを言いかけた俺に対して、男は不思議な顔でこちらを見ていた。
「いいや、君もまた、くたびれてるよ」
 そう言って男は空になったグラスの中の氷を転がす。
「なんだったら君は〈憂鬱な少女〉でもある。愛に溺れた〈殺人者〉とも言える」
「どういうことだ」
 はらりと俺の前髪が目にかかって、対面に座る男がぼやけた。
「君もまた、ここにいる僕と同じように〈代弁者〉でしかないからさ」
 気付けば空はいつものように夕暮れ始めている。そして当たり前のように、人の気配は店内にも外にもない。
 男の言葉の続きを、何故だか聞きたくなかった。
「チョコにも雨にもなれてしまう僕らを、誰と呼ぼうか」
 自覚を得てしまった君は、もっと不幸だ、と男は付け足した。
 ああ、そうか。ここには〈僕〉の意思が、一つだけだった。


 

 

 

 

 


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〈 平行世界 〉
〈 メタ 〉