kurayami.

暗黒という闇の淵から

西追い街

「この街に来て、どれくらいになる?」
 赤と黒が混ざる、空一面が臙脂色の街角で、少年は成人してるであろう男に話し掛けられた。
 一定の方向にだけ吹く風が、低い音を響かせている。
「……たぶん、つい先ほど、です。貴方は?」
「ようこそ。さて俺はどうだったかな。もう、三世紀ぐらいにはなるんじゃないかな」
 男の姿は無いはずの夕陽の明かりにすっかり焦げて、真っ黒だった。
「三世紀も。だからそんなに焼かれてしまっているんですね。ああ、その、もし良ければ此処が何処なのか、教えていただけませんか。思い出が何処にもなくてすっかりわからないのです」
「此処は“西追い街”だよ。すっかり無い物を追いかけ続ける、三つの天体の下の街。二つの内の一つの小説が失われた、生者も死者も居ない街」
「無い物。それは飴玉のような、あの」
 そう言った少年は、ふと自身のポケットに何か入っていた気がして、手を突っ込んだ。しかしポケットには何も入っていない。
「そう、あの霞んで眩しい、俺らも名前を忘れてしまった……あの。この街を何処かから切り離すほど、欲しいと願う誰かの、誰かたちの想いがあったんだろうね。それ以来この街は、届かない無い物を追いかけ続けているらしい」
「今日から明日に手を伸ばしているような、そんな愚かさですね」
「仕方がないさ。終わりたくないという気持ちは誰にだってある、例え届かなくてもな。だけどほら、終わりは必ずそこにあるんだ、見上げてごらん」
 男に言われて、少年は首を上へと向けた。
 雲一つ無い空に、三つの白い一等星が、妖しい光を放ち浮かんでいる。
「あれは、星?」
「星なのかな、そんな綺麗な物ではないと思うよ。この街の住人は、あの星群を“ゴストリア”と呼んでいる」
 少年が目を凝らすと、それぞれの白い光の真ん中に、黒いドレスを着た少女が丸まって寝ていた。
「なんだか、触れたくなるような光ですね」
「手、届くよ」
「えっ」
 男の言葉に少年が驚く。
「星には手が届かないという固定観念を否定しているんだ、この街は。しかし手を伸ばしてゴストリアに触れた者は皆、何処かへと消えてしまう」
 男が臙脂色を飾る白い星を見上げた。
「いつか、触れる時が僕にも来るのでしょうか」
「皆、そのことをよく考えているよ。住人にとっての、唯一の終わりだからね」
 ゴストリアに触れた時、消えていく。その事実が、恐怖が、少年の中でゴストリアの美しさを際立たせた。
「なあ、君。これからどうするんだい」
「僕。僕は」
 少年は自身の手を見る。白くて細長い、奏者のような指があった。
「もし良ければ、一緒に探し物をしてくれないか」
「……ええ、あの光に触れたくなるまでの間でしたら。何を探せば良いのでしょうか」
 聞かれた男は、懐から真っ白な本を取り出す。
「この本の片割れ。“夢糖”ってタイトルの、二つで一つの小説さ。どうしても続きを読みたいんだが、何処にも見つからない。まるで、続きがないみたいに」
 真っ黒な顔の男は、おそらく困った顔をしていた。

 

 

 

 



nina_three_word.
貴方だけの〈固有名詞〉を三つ。
〈 ゴストリア 〉
〈 夢糖 〉
〈 西追い街 〉