kurayami.

暗黒という闇の淵から

お片付け

 濃く真っ青な空の下は、酷く散らかっていた。
 積み木のようにバラバラにされた新宿バスタが転がり、井の頭公園はゴミ箱の中のティッシュみたいに丸められている。原宿の竹下通りはコンパクトに収納されて、中央線は見えない壁に立て掛けられていて今にも崩れそうだった。
 そこは紛れもなく、東京だった場所。
「いや、今も東京なのかもしれないけれど」
 ポケットの中に入ったICカードの角を触りながら、前髪の長い少女が呟いた。
 そんな宙に浮いた適当な説に対して、疑問の声が湧く。
「なら、ここは東京のどこなの?」
 疑問の声を出したのは、前髪の隣に座った無いはずの気温に震える、マフラーがぐるぐる巻きの少女。
「たぶん渋谷」
「どうして?」
 マフラーが繰り返し疑問の声を出す。
「だってほら。あのあからさまに怖そうな、ジェットコースターのレールみたいなやつ。たぶんスクランブル交差点だよ」
 前髪が指差した方に広がっているのは、バラバラになった副都心空間の瓦礫と、直立した交差点の白線の景色だった。
 散らかっている瓦礫は何かの力により持ち上がっては消えて、少しずつ消えている。
「うーん、あれで渋谷かどうか判断するのには、少しはやいんじゃないかなあ。新宿のさ、アルタ前のやつかもしれないよ」
「新宿のとは大きさが違うよ。それによく見て、瓦礫の下にたくさんの厚底のブーツが転がってる」
「なるほど、ここは渋谷かもしれない。しかも、ひと昔前の。でも……これは今も渋谷なの?」
 マフラーが辺りを見渡すが、道玄坂に立つ数字のデパートもたくさんのモニターも見当たらない。
「どうだろうね。見た感じは世界を作り直してる最中みたいだけど」
「世界を、作り直す?」
「うん。誰かが言ってたんだ。何かを片付けようとすれば、一度派手に散らかさないといけないって。これはそれに似てるよ」
 改めて前を向いた二人の少女の目に映るのは、世界の再構築。
 そして、再構築する理由だなんてことは、二人は口に出さずとも察している。
「そっかあ、変わっちゃうんだね」
「仕方がないよ」
「どうなるんだろうね。あ、植物が生えたよ」
 マフラーが駆け寄った先に緑色の植物が群生しているが、よくよく見れば小さなウサギの頭が生えていた。
「ん、なに、これ。ウサギと……なに。こんな風に私たちも作り直されちゃうの?」
「いや、新しい世界に人間がいるだなんて、限らな、」
「えっ」
 前髪の声にマフラーが振り返る。しかしそこには真っ青が広がるだけで、誰も存在していない。

 

 

 

 

 

 

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〈 厚底 〉
〈 瓦礫 〉
〈 ウサギゴケ

 

水面下

 気付けば始まりの春は暖かさを暑さに変えて夏を迎え、緑と蜃気楼に溢れた物語の夏はいつまでも終わりに抗って、秋を世界の底に埋めて閉じ込めた。ああ、本当に秋なんて何処にも無かったよ。
 枯れていく生命は、冬のモノだからね。
 終わりの季節がついに来たんだ。
 九月の頃から嫌な予感がしていた。持ち運ぶメモ帳とパソコンがやけに軽く感じて、それが俗に言う慣れってモノだと気付いてしまった頃には、私はもう二十三の歳を迎える来年を目前にしているんだと思い知らされている。長いこと街に寄り添ってしまっていたらしい。二十三という数字に対して思うのは「もう」という感情だった。迎えるのが億劫だと思えるのは、まだ何かの準備が整っていないという焦りと、誰にも許されていないという罪悪感。
 冬の予感。街を……身体をすり抜けていく冷気を帯びた風は、知らないはずの懐かしさを胃に溜め込んでいく。やけに懐かしい……懐かしい。そうやってストールの下でぶつぶつ呟く私の顔は、どんなに怯えていたことだろう。溢れるのはぼやけた記憶。純粋な少年たちと、憂鬱に立ち向かう青年たちの記憶だ。いや、彼らはまるで私なんかじゃない。私が、彼らでは無くなってしまった。何度も変わり続けても〈彼らという私〉には抗う自由な力があったはずだ。毒すらも美味と啜っていただろう。それがもはや、いつの間にか私からは消えている。縋り甘え続ける力なんて、何処にも残っていない。
 この現状は、変わり続けることが意味の無い現実逃避だと証明する。
 虚しい延命の繰り返し。
 冷たさと止まる事の無い日常は、水面下で私に自覚を強要し、諦めさせ続けた。巡る日によってカレンダーが二回破かれた。十一月頃。これ以上の延命は限界だということに、私の心は気付いてしまっていた。迫り来る年の瀬が、この一年の終わりが、私の終わり時に相応しいとすぐに決まる。水面下に溜まり続けた毒を、啜る他に選択肢などない。
 そしたら……どうだ。見計らったように、弱った私の前に貴女が現れた。片手には甘味を持って、もう片手には私の心臓を持っている。そんな貴女がとても魅力的な餌に見えて、私は蕩ける脳味噌が入ったがたついた身体を引き摺って、下手くそに縋って甘えている。最後の最後に、なんて惨めなのだろう。もう少し早く貴女に出会いたかった。
 余命はもう、残り一ヶ月となっている。悪魔のような貴女と過ごせるのであれば、こんな私の魂も救われるのかもしれない。少なくとも今の私は少しだけ幸せだよ。
 けれど、どうか、私の最後は貴女の手で終わらせて欲しい。
 そんな最後の我儘を、聞いてくれないだろうか。

 

 

 

 

 

 

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「 〈 どうか 〉あなたの手で殺してください」

 

フレームアウト

 この街に君は居ない。
 たぶん冬に入って数週間、寒い日が続いて数日。久しぶりの陽の暖かさを身で感じた私は、インスタントカメラを持って家を出た。秋用のコートを着るのはこれが今年最後になる気がする。だって見上げた空は何処までも高くて、迫り来る冬の事実は誰にも否定出来なかったから。
 大通り沿いのバス停へと向かう。遠くに見えるバス停が小さく佇んでいて、それがなんとなく可愛いと思いカメラを覗き込んで、遠景モードにして少しでも良い絵を探して。
 だけど、しっくり来ない。
 それはなんでだろう。
 結局シャッターを押せなかった私は、諦めてバスへと乗り込む。お気に入りの一番後ろの端っこ。目指すのは市内の大きな駅。イヤホンを付けて聴きたい曲が来るまでシャッフルを繰り返して、あるバンドの曲で指が止まった。イントロが終わるまで懐かしさと愛おしさの感情が頭の中を駆け巡る。ボーカルの声で思い出したのは君のこと、切なかったこと。バスの車窓を流れる景色はどれもこれもよく見知っていて、余計な記憶すらもしつこく付着している。
 辿り着いた駅前は、いつもより寂しく思えた。歩く人が少ないわけでもなくて、静かなわけでもない。そりゃもちろん、私を無視して過ぎ去って歩いていく人たちはみんな他人だからって理由はあるけど、本当の理由はそうじゃないのはわかっている。寂しさの本当の答えがレンズ越しに見えることは、ずっと前からわかっているつもり。苦笑いのフリと本気の溜息。カメラを覗き込んでも映らない。やっぱり君の居ないフレームは、しっくり来ないんだ。
 目に見えるのは、思い出の幽霊だけ。
 ゲームセンターの入り口にも。安いカフェの窓にも。石畳の道の先にも。
 たくさんの半透明の君が、重複に存在して、フラッシュバックする。
 フィルムが入ってないインスタントカメラを持ち歩き始めて、ずいぶんと長い時間が経ってしまった。このシャッターを押したところで、君は写らないのがわかりきっている。欲張りで傲慢な私はそれを物足りないと思って意味がないと評価してしまう悪者だ。
 求めるのは君の表情だけだもの。
 ああ、いつになったら私のフレームの中に帰ってきてくれるのだろう。
 私の欲求不満はいつまでたっても爆発しなくて、無限で、死んで終わってくれない。こうして思い出巡りをしているうちに変わらないかと思うけれど、募るのは君への想いと執着ばかり。
 レンズ越しに君を探しているうちに陽が暮れはじめて、寒さが身を襲う。
 この街に、君は居たはずだった。

 

 

 

 

 


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〈 レンズ越し 〉
〈 重複 〉
〈 フラストレーション 〉

 

完結世界

 果てなく広い東京の中で邂逅出来た二人にとって。
 六畳一間のワンルームは十分過ぎる世界の器だった。
 一切の秒針を刻む音が失われた部屋。床に流れる掛け毛布が眠気として、少し散らかった空間に融合している。明かりといえばカーテンから溢れる柔らかい光だけ。部屋の片隅に淀み溜まる暗闇は拭そうにはなくて、外部から遠く聞こえる車の走る音がやけに現実味を失っていた。
 二人の現実は、この部屋にしかないのだから。
 怠惰に身を預け、擬似的永遠による幸福の形を選択した二人にとって、もはや世界は部屋の中に完結している。外部の音も光も闇の干渉はもはや意味がない。唯一事を動かすのは本能のままの三大欲求と、互いを貪り求め合う静かで重くて、未来の無い愛だけだ。求め伸ばされた手は最も容易く握られ、求めた分だけの安心と快楽を齎し合う。
 二人は元々東京に存在していた。コトワリを回し続ける歯車の一つとして機能していたはずだった。しかしそれは、運命と歌われるその日に巡り会った時の間まで。互いを承認し暖め慰め合い、歪んだ恋路に逃亡した先に見たのは〈存在しない理想の世界〉を求める続ける苦悩。〈愛と憂鬱〉は確実に二人を追い詰め、疲労し消耗させて、人間としての形を奪っていく。
 気付いたときには、歯車として回るのには、あまりにも錆びすぎてしまっていた。
 凹凸が綺麗に嵌り合うのは、目の前にいるその人だけだ。
 苦悩の果てに辿り着いた六畳一間のワンルームで、生気が弱った手を重ねる怠惰な日々。他愛無い話は尽きることがなくて、枕は言葉に溢れている。幾度と無く語られるのは浅い二人の過去、無いはずの未来の話。今に在る安心と先に在る終焉に麻痺をしながら、薄暗闇の部屋を何度もノックした。もちろん二人にはわかっている。現実とルビ振る残金を食い潰すまでの世界だってことを。桜が散るまでの短い時だってことを。
 それでも、それでも二人は縋り合い、完結した世界から抜け出すことを選ばない。選べない。そんな選択肢すらも見えていない。何故なら今の選択が、二人にとっての残された紛い物では無い確かな幸福だったからだ。世界を抜け出すことを選んでしまえば、相手その人を否定することを意味してしまう。そうやって否定してしまうぐらいならば、二人にとって死を選ぶのは盲目な程に当たり前のこと。
 愛と憂鬱。そして現実逃避と、死への歩み。
 全ては正しい愛を決行するため。
 救うべき愛から目を逸らすため。
 最もたる幸福の時間を、終わりゆくまで。

 

 

 

 

 

 

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〈 邂逅 〉
〈 食い潰す 〉
〈 この世の春を謳歌する 〉

 

ごく普通で、珍しくもない

 ありふれた僕の心について。
 なんとなく辿り着いた街が、過去にあった恋に所縁のある場所だった。だからこうして、駅前のベンチに座っていろいろ思い出したりもしている。
 思い出す先は、遥か昔まで過ぎて。
 二十二年間、生きてきただけの記憶が僕にはある。嬉しかった出来事も哀しいと思う事も、数え切れない程あった。思い出と人間関係は今という僕を構築した。このありふれた僕を。
 そんな〈どこにでもあって、普通であり、珍しくない〉という意味の言葉を、人混みに混じるたびに思うんだ。
 決して個性が欲しいわけとかじゃなくて、他の人より突起したモノが欲しいわけでもない。何よりどんなに変わった個性がその人にあったとしても、人は人だ。ありふれていない危ないヤツだなんて、ほんの一握りだと思う。だから、そういう意味で、僕はとても安心する。他と変わらないただの人であること。ありふれていることに。安心というより溶けるとでも言おうか。正解を常に与えられているかのような……そんな気持ちだ。正しく進めていて本当に良かったよ。
 小学校じゃ秘密基地を作ってきた。中学校じゃ悩みを共有した。高校じゃ部活に専念した。大学には落ちちゃったけど、結果的にいろいろなモノを知れて良かったのかもしれない。大学のことは友達から聞けるし、外のことは自分で見に行ける。着々と人たる時間を重ねている。
 恋の成就も、失恋も、同じだけ。
 感傷。なんで人はわざわざ哀しい思い出と対峙したがるのだろう。駅前を見て思い出すのは今でも忘れられない彼女のこと。つまらない理由で振られてしまったこと。
 今から三年も昔のことだって言うのに、その失恋は根強く僕に残っていた。その彼女はなんだか……うん、ありふれていなかった。まあ僕にとって好きな人なんだから、当然そういうものなのかもしれないけれど。僕は密かに彼女のことが好きで、そのことに気付いたのは向こうだった。
「普通じゃないよ、君」
 そんな密かな想いに気付いた彼女は、そう言って僕を受け入れた。今でも何が〈普通〉じゃなかったのかわからないけれど、その時はただただ嬉しかったっけ。
 それからというもの、僕は自身の想いを出来るだけ悟られないように、接したつもりだった。
 こんなありふれた想いに塗れた僕だって気付かれたら、嫌われてしまうかもしれないと思ったから。普通に彼女を満足させれるように努力していた。しかしどうやらそれが、彼女にとってつまらかったらしい。
「退屈」
 ただその一言、つまらないからと振られてしまったんだ。
 何が駄目だったのか今でもわからない。ただ、ただ、心からとても好きで、離したくなくて、ずっと側にいて欲しいだけだった。少し重すぎたのだろうか。今なら最悪の場合殺してでも離さないと思う。けれど、それをしたら、嫌われてしまっていただろうな。
 駅前は三年前と同じように、僕と同じような人たちが通り過ぎていくだけ。
 そして、ここには失恋に傷心する、ありふれたワレモノが過去を惜しむだけだ。

 

 

 


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〈 ありふれた 〉
〈 ワレモノ 〉

望朝

 男は、毎朝一言「うん」と呟き、笑顔で俺の頭を撫でる。
 お約束の一日の始まりだった。それは俺が命を拾われた日からずっとそうだ。眩しい朝陽の中でも、曇り切った冷たい朝食の時間のときも。男にしかわからない何かを確認して、勝手に納得するだけ。何かを保ち続けている自覚なんてないから、なんのことなのかはさっぱりだった。
 今から約半年前。俺は人生で立派なことを成し遂げられないということに気付いて、山の中で首を吊る場所を探していた。限界だったのもある。何処かで間違えて修正が効かなくなって、もうどうしもうないってわかっていたこともある。少なくとも諦めがついていたからこそ、死ぬしかなかっただけだ。死にたかったわけじゃない。
 そうやって死に場所を求めて彷徨っていたとき、片手にスコップを持ったあの男に出会った。
 家に来い。養ってやろう。物好きな男はそう言った。突然新しく芽生えた人生に、俺は何があるかわからないものだなと考えるばかりだ。悪いことをされるわけでもなく、ただ暇潰しに世間話をされ、家事を頼まれるだけ。
 しかし、俺は男の名前を知らなかった。向こうは一切名乗るつもりがないらしい。素性がわかるようなことは滅多に話さない。家の中にヒントがあるかと思いきや、不気味なほど男の情報は何もない。隠されているのだろうか。わかるのはそこそこ良い会社に勤めていて、自殺未遂者を養う変わり者ってぐらいだ。
 奇妙な生活となって、考える時間が極端に増える。
 思えばそうだったのかもしれない。会社に行き、家に帰って飯を食って、寝て、また会社にいく。休日はたまに友達と遊んで、自分がどれだけ底辺にいるのかを確認する。その繰り返しの日々の中で、ゆっくり集中して考えるしかない時間なんて、なかったんだ。
 男との生活は悪い物ではない。聞かされる世間話は知識を得られるし、なにより面白い。気付けば唯一である男は、俺にとって特別な存在になっていた。出来ることなら何か、恩返しをしてあげたい。
 成し遂げたい。
 そう胸に秘めた翌日の朝。俺はいつも通り頭を撫でられることもなく、生きたままトランクケースの中に閉じ込められていた。ガラガラとコンクリートの上をタイヤが転がっているのがわかる。微かに、遠くに波の音が聞こえた気がした。
 朝一番に、男と対面したときに見た、感情が消えた冷たい表情。毎朝されていた当然が無いということも相まって、それがとても不気味で、酷く哀しくなった。どうやら希望を持つことは間違いだったようで。
 移動が止まり、一瞬の浮遊感と、鈍い衝撃。
 ああ、どう転んでも成し遂げられやしない。
 

 

 

 

 

 

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〈 品質管理 〉

 

食道

 私が名古屋に来たのは三回目。出張で言うなら二回目。だから名駅に来た時の過ごし方もなんとなくわかるし、泊まるホテルだって迷わずに選ぶことができる。
 まあ、そうは言っても、今回もいつもカプセルホテルなんだけれど。
 懐かしいようで慣れてしまった乗り換えを繰り返して、私は名駅から隣の隣ぐらいの駅へ移動する。職場で定時を終え次第真っ直ぐ来たということもあって身体はへとへとで、何処かへと寄り道する気も起きないままホテルへと直行した。早いとこ身体を休めてしまいたい。一時間近くマッサージチェアに身を預けてしまいたい。
 そのカプセルホテルは女性専用ということ、なにより格安なこと、アロマが効いたよくわからないサウナを売りにしていた。つまり似たような女性ばっか集まる。私みたいなケチ臭くて、それでいてよくわからないサウナを求めるようなOLとか。
 だから……初めにその人を見た時は、とても意外に思った。
 受付のフロントからふわっと離れていく、白いコートに袖を通したアッシュグレーの髪色をした、小柄なお姉さん。
 一瞬だけ見えた横顔が小さなりんごみたいで、少しだけ欲しい……だなんて思って、ハッとする。一瞬イケない感情を抱いていたことが恥ずかしくなって私はすぐに受付を済ませた。でも慣れた手付きの中でもりんごみたいな可愛らしい顔を忘れられなくて。
 いつも通りの四階のフロア。今回は割と手前の部屋だった。小さな鉢の巣のような穴の奥に荷物を預けて一息つく。外に出掛ける気も起きないから、食事は店売にあったカップラーメンで済まることにした。こういう普段とは違う場所で食べるカップ麺は極端にすごく美味しいか、味がしないかのどっちか。今は後者だった。
 お風呂に入っている間も、あのお姉さんの姿を探してしまっている。こんな、こんな感情は初めてで、でも踏み入れたいとは思わなかった。あまりにも危険過ぎる。このままお姉さんが見つからなければいい。私が〈普通〉に帰れなくなってしまう前に。
 髪を乾かして、喫煙所で一服する頃には夜の十二時近かった。他の利用者はすっかり寝静まっていて、まるでこのフロアには誰もいないみたい。
 寝ようと自室に入ろうとしたとき、奥の方で白いモノがヒラっと動いたのが見えた。よく目を凝らせば受付で見たあのお姉さんで、こちらを見ている。そしてこっちへ来ないの? とでも言うかの素振りで、身を動かしていた。
 行けば帰れなくなるのが直感でわかった。けれど、呼ばれているのなら、呼ばれているのだから気になる。だから行く。決して下心があってのわけじゃ、ない。だから大丈夫。
 そう、これはちょっとした冒険。
 私は誘われるがまま、鉢の巣が並ぶ壁の先へと吸い込まれていく。お姉さんの〈部屋〉は一番端にあるらしい。部屋の中から手を出して招いている。暗い廊下の中でお姉さんの穴だけが光っているように見えた。
 ふらふらと眩暈を起こすように、招く部屋の前へと辿り着く。この中にお姉さんがいる……やっと話せる。そう、これはただの興味だ。決して恋なんかじゃない。
 そーっと、緊張に痺れながらも中を覗いた。するとそこにはカプセルホテルらしい部屋はなく、何故か真っ赤な壁がずっと奥の方まで続いている。
 それが分泌液に塗れた肉壁だと気付いた頃には、私は白く綺麗で、そしてやけに長い腕によって引きずり込まれていた。

 

 

 

 

 

 

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〈 カプセルホテル 〉
〈 アバンチュール 〉