夜の森からは、ざわめく木々の声、虫の音、動物の歩みだけが聞こえていた。
でも、きっと、今の私からは何も聞こえない。足音も、吐息も、心拍音も。
私から漂うのは、右手から放たれる火薬の匂いだけ。
月も見えない曇り空の下。広がる森の中を、柔らかい土の上を、一歩一歩、踏みしめて行く。振り返れば前方と同じような、木々と暗闇のストライプが広がって私を囲んでいる。
私はもう、寝息を立てる森の内臓内部へと、取り込まれ切っていた。出ようにも出られない、行き先は私の足が行くまま。現実事実から逃げるまま。
冷たい風が裸の足を切っていく。森に拒まれている、というよりも、腐葉土の一部にしてやろうという、消化液のような意思だと思った。でもそれは、私自身がそう望んでいるからであって、ただの風に過ぎないのだけれど。
夜の森に迷い込んで死んでいく人の死因を、私は知らなかった。
やっぱり、お腹を空かせた獣に食べられちゃうのかな。それとも、誰も知らないモンスターに食べられちゃうのかも。ああ、でもやっぱり一番は、自身が息するための他人からの承認や愛、つまり孤独に飢えて、死んでしまうのかもしれない。
もしそれなら、私は死ぬ気が、しないけどなあ。
自業自得の私が、覚えた愛のために、孤独に飢えて死ぬだなんて。
歩きながら、いろいろな木に触れてみた。どれも冷たくて、ゴツゴツした皮膚を私との間に挟んで、まるで私を拒絶している。栄養になるには根から、口から入らないといけないのはわかっているけれど、あまりにも意地悪に感じてしまって、右手に持っていた拳銃を強く握りしめた。
私は悪くない。彼だって……悪くない。
だとしたら、悪いのは私だというのは明白だ。そんなことはわかってる、わかっていて、この森の中にいる。
身売りと客の一線を越えたのは私たちで、その線が引かれていたのは私が原因。
制限された愛の中で、止められなかったのは私たち。止めようとしなかったのは私。
だから……
気付けば、木々の隙間の向こうに空間が広がっているのが見えた。抜けてみればそこには、黒い水面が広がっている。
それは、吹く風に静かに揺れる湖。その壮大さはまるで、森の血。
ゆっくり近付いて、湖を覗き込む。
乾いた血で首から下を固めた、頭がぱっくり割れた私が写り込んでいた。
身売りに許されない恋を、彼にもたらしてしまった私の罪。罰を受け入れた、私の成れの果ての姿。
ああ、私、この場所を目指していたんだ。死ぬ前に自身の罪と罰を、再び記憶に刻むために。
この森の血に、溶けるために。
木々の声、冷たい風、黒い水面。この森の一部になった私は、一生忘れない。
貴方のこと。果てに見た、愛しい射殺を。
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〈 火薬 〉
〈 水鏡 〉
〈 夜鷹 〉