kurayami.

暗黒という闇の淵から

本当の街

 誰に何を誘われるわけでもないまま、俺は高校から家へと真っ直ぐ帰った。制服のネクタイを解き、中途半端にワイシャツのボタンを外して、ぐしゃぐしゃのベッドへと転がる。
 外を見れば真っ青な空。まるで、まだ休むには早いぞとでも言ってるみたいで、罪悪感が湧いた。しかし、だからと言って何をしよう。勉強をするのにも範囲が思いつかない。読む漫画だってない。
 何かをしなきゃいけない。そんな気持ちがなくなればいいのに。
 どうしようかと考え始めてから三十分が経って、俺はやっとベッドから起き上がった。とりあえず駅前の本屋へ漫画を買いに行こう。ボタンだけ直して、制服のまま玄関の外へと出る。
 すっかり秋を迎えて、外は文句のない気温を保っていた。駅のある方へ一歩を踏み出したとき、街内放送の合図であるチャイムが、空に響いた。
 緩いリズムのチャイム、ジーとノイズが入って、女の人の声で放送が流れ出す。
『緊急放送、緊急放送です。街が落ちました。この放送を聞いた住人は、速やかに、街の中心へと、避難してください。街が落ちました。この放送を聞いた住人は、速やかに、街の中心へと、避難してください』
 街が、落ちた? 一体どういう意味だろう。空は相変わらず小鳥が飛んでいて、危機に近いざわめきも特に聞こえない。だけど〈緊急〉と〈避難〉という言葉には従うだけの、十分な説得力がある。
 街の中心、あの坂を下った辺りだったっけ。
 この放送を聞いた住人。普段その放送の内容に含まれることがないだけあって、俺は街の中心、駅の正反対へと向かうことにした。
 ある程度歩いて、また放送のチャイムが鳴る。
『急いで、ください』
 ゆっくりとした声で、ただそれだけが放送された。まるで歩いて向かってることを見透かすように。俺はその放送にまた従って、少し急ぎ足で向かうことにした。
 何から避難しているのかわからないまま、急ぎ足で向かい始めて五分。俺はとあることに気付いた。
 誰も、避難をしていない。
 あと少しで下り坂というところで、街角で話す爺さん婆さんを見かけた。放送が聞こえていないんですか、と声をかけようとして、見計らったように放送のチャイム。
『急いで、ください。この放送は、貴方にしか、聞こえていません』
 その言葉の意味を理解するのに、聞こえている俺が〈貴方〉だと理解するのに、数秒かかった。一体どういう。
『急いで、ください。すぐそこまで、迫っています』
 ノイズ混じりの放送が終わるの同時に、カン、と金属を叩く音が、来た道の奥から聞こえた。
 カン、カン、カン。
 叩く音は少しずつ強くなって、リズムを速めて、近付いて来ている。
『急いで、ください。貴方、だけです』
 再び流れた放送を合図に、俺はダッシュで走り出した。音から感じ取った危機感。それは恐らく、その音が力を込めて、何かを叩いているように聞こえるからだ。
 まるで絶対に壊す、そんな意思を込めて。
 下り坂へと入り、走る足に勢いがついた。何かを叩く音はいつの間にか一つから複数へとなり、すぐそこまで迫っている。
『そのまま、まっすぐ』
 下り坂の終着点。恐らく街の中心であろう場所は、真っ黒な穴が空いていた。
 穴を覗いてみる。一旦立ち止まる。音に立ち向かう。
 そんな選択肢を選べないまま、走る勢いは止まらず、俺は街の中心へと落ちていった。
『……貴方は、本当の街へと、落ちました。貴方は、本当の街へと、落ちました』
 浮遊感の中、放送が穴の中で響く。
『さようなら』
 別れを告げる放送と共に、身体が放り出される感覚。地に足がついて、浮遊感の中で閉じていた目を静かに開けた。
 灰色の……モノクロの空。
 目の前には色が失われた、どこか面影のある寂しい街が広がっていた。
 温度のない風が俺の頬へと当たる。
 放送の通りならここが〈本当の街〉。
 見慣れないはずの景色に、なぜか俺は、懐かしくなった。

 

 


nina_three_word.

〈 中心 〉