kurayami.

暗黒という闇の淵から

/弾丸

 些細なキッカケだなんてことは、そこら中に転がっている。
 いや、常に流動的に、有為的に。
 時間は〈存在する全ての事象〉という銃を携帯して脅している。
 始まりから果てまで、永遠に世界を乱し続けているんだ。
 生まれた運命というモノを辿れば、原因の動きがある。
 予期されなかった、必要のない物語がある。
 ほら、貴方だって、誰かと誰かの弾丸だろう。
 今この瞬間にだって、黒いトリガーには指がかかっている。
 誤射は行われ続けている。
 放たれた弾丸が着弾するまで、数え切れない破壊と殺人は止まない。
 深夜テレビのカラーバーを前に現実の開始を知った少年少女。
 宇宙空間へと放り出された希死念慮が止まらない飛行士。
 紫陽花が枯れるまで幸せを許されなかったシングルマザー。
 インスタント麺に深淵の呪いをかけ続ける夢無き青年。
 乳酸菌飲料と可愛さを混ぜて童貞を奪い続ける女子高生。
 学ランが灰になるまで水をかけ続ける元数学教師。
 純文学を理解出来ないと馬鹿にする純文学の登場人物。
 鬼の面で涙を隠し続けた幼い碧眼のサイコパス
 学生時代に川辺に捨てたコンドームを探す三十路男性。
 魔女の生まれ変わりだと自身を信じて疑わない老いた黒猫。
 電源の切れたアイフォンにフリック入力をする耳の無い屍。
 最寄駅で理想の夜を探しに消えていく甘党の恋人たち。
 カメラを覗いても取り返せない過去ばかり映る幽霊。
 様々な怒哀が降りそそがれても、弾丸はまだ撃たれたばかり。
 のうのうと通り過ぎる日常の中で、一体なにを見てきたんだ。
 必要の無いモノばかりを追求して、まるでナニカを隠し続けた。
 貴方は、ナニを隠し続けている?
 撃たれ続ける物語の弾丸に、壊れて埋もれて、もう目に見えないけれど。
 破れる世界の明暗はまたひっくり返って、昼と夜が混沌に混ざっていく。
 それで、洗い落としてしまえば、ほら、やっぱり何も見えないだろう。
 透明な世界に弾丸が四方八方に撃たれ続けてるだけ。
 瞬きをすればまた世界はまた無駄な彩りを散らしている。
 ああ、だけど、手を伸ばすことで触れるぐらいなら。
 触り言葉にすることで、 解ろうとするのが人間だから。
 そうやって着弾するまでの長い間に安心して、馬鹿みたいだ。
 みんなが思ってるい以上に、着弾はすぐだと言うのに。
 さあ、知り得たれたかい。起こり続ける事象と望まれない生誕を。
 後ろを振り向いてごらんよ。愛しの弾丸とご対面だ。
 今すぐ撃ち抜かれてお別れをしようじゃないか。
 もはや刹那だった貴方と、さようなら。
 

 

 

 

 

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〈 トリガー 〉
〈 破れる 〉
〈 刹那 〉

 

神様のお気に入り

「あ、また余震か」
 曇天の日中。田舎町の片隅。塀に手をついて身のバランスを取った二人の兄妹の内、兄がぼそっと呟く。余震というには少し長く、電気紐を揺らし続けた。
「長かったね、お兄ちゃん」
 兄の後ろでしがみ付いていた妹が、顔を覗かせる。
「そうだな、来るたびに長くなってる。おじさんの言ってた通りだ」
「次もまた、長くなるの?」
「ああ、多分な。……それに」
 言葉を続けようとした兄が言いかけて、手前で飲み込んだ。幼い妹に自ら言うのは違う、そう感じて。
 また、この町で人が消える。
 約二日前。緊急町会が行われた。内容は最近頻繁に起こる余震について。
 表に立ったのは町最年長の、町外れに住む爺。
「この余震は、アマガミ様を怒らせたからだろう」
 アマガミ様。山の祠に宿ると言われる神様。町の平均を保つため、秩序と時間を守ると伝承されている。
 その名前が出た途端に年配者はざわめき。若者たちは苦笑いをした。しかし若者たちの苦笑いも長続きはせず、すぐに沈黙が訪れる。
 原因は、町で起こり続けている失踪事件。
 余震が起こるたびに一人消えていく。
「なんで、アマガミ様が関係するんですか」
 壁際に立っていた青年が、腕を組んで爺に聞いた。
「本震が起こる前にあって、後になくなったものがあってな」
 爺が顔に影を作り、深刻な声で続ける。
「小箱だ。アマガミ様の〈お気に入り〉が詰まった、小箱。それが祠から消えていた。誰か、誰かこの中で、あの小箱を持っていった奴はおらんのか。いたらどうか、返してくれないか」
 呼びかける爺の声に、誰も答えない。
 余震はこの先、祠に小箱が返されるまで起こり続け、人を消し続けるという。
「ねえ、お兄ちゃん。人が消え続けたら、どうなっちゃうの」
 兄妹が家に帰り玄関で靴を揃えているとき、妹が兄に聞いた。
「……聞いた話だと、小箱を持った人以外、全員消しちゃうんだって」
「お兄ちゃんも?」
 心配な顔をする妹を、兄が鼻で笑う。
「ばーか。俺が消えるわけないだろ」
 そんな兄を、妹は上目遣いに安心する。
 安心した、フリをする。
 何でもない顔をして自室に戻った妹が、ゆっくりと押入れを開けた。そこには、小さな水溜りを作った、微雨が漏れる小箱が一つ。
 大切そうに妹は小箱を抱え込み、深く愛を込めた眼差しで見つめた。
「神様だけ、ずるい。私だって、お気に入りが欲しいよ」
 無邪気で我儘な声。
 幼い少女にとって、それは手放したくないお気に入り。
 例え町の人が、兄が、世界中の人々が、繰り返される余震によって、いずれ消滅しても。

 

 

 

 

 

 


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〈 余震 〉〈 微雨 〉〈 小箱 〉

 

ライトエスケープ

 陽がまだ高い日中のこと。私が街を歩いていると、十字路の真ん中に男が立っているのが目に入った。
「やあ」
 にこやかに甘く、悪気のない顔で嘘臭く笑うソレを、私は知っている。嫌悪感、警戒心、不幸の塊。触れるべきではない、堕落の象徴。
 私はその男を避けるように、角を右折した。
「どうせまた、後で会うのに」
 後ろから聞こえる声を無視して前進する。あの男とは初対面だけど、過去の積み重ねが「関わるな」と私に警鐘を鳴らしていた。
 だから、これは正しい右折。正しい道。
 しばらく街の中を進んでいると、また十字路があって、人が何かを囲って群を作っている。人々の隙間から見えたのは、倒れている知人だった。他の囲んでいる人たちだって、よくよく見れば見知った顔ばかりだ。
 関わるのは面倒だと思って、また右折する。あれはまさに人間関係の事故現場だ。関わるロクなことがない。面倒くさいし、次にあそこに倒れるのは、もしかしたら私かもしれない。
 寂しさを埋める代償として、複雑に身を投じるのはリスクが高すぎる。
 空に雲が出てきた。より過ごしやすくなったなと歩いていると、また再び十字路。その真ん中に疎らに落ちているのは、何かのメモや原稿用紙、絵の具にスケッチブック、アコースティックギター
 全て私が興味のあるモノだった。正確には一度触れて、挫折したモノだってあの中にある。このまま進んで拾い上げて、趣味に没頭するのも良いかもしれない。けれどそれは同時に、時間と精神の消耗を意味することになる。
 私はまた逃げるように、慣れたように右折をした。これで良いはずなのに、心はどこか痛い。
 日が傾いてきて、街の塀が道に影を落とし始めた。進む道の先、今度の十字路はとても暗い。東の道も、南の道も街灯が一つも無く真っ暗で、進めば孤独から帰れなくなるような、深い闇。
 一人は嫌だと、無意識が訴えて、私は西陽が差す道へと右折した。そこは橙色に照らされて、長い影が伸びてるけれど、見知った道。
 最初に歩いていた、いや、何度も通った道だ。
 奥の十字路には、あの男が立っている。
「待ってたよ」
 歩き疲れてもなお前進する私に、男が再び甘く声をかけた。声に吸い寄せられて、抱きついて甘えたくなる。けれど、どうしてもそれは危険だと、堕落への道だってわかっていて、出来ない。
 私は逃げて、角を再び右折する。
「またそうやって逃げるんだ」
 堕落の男は、後ろから私に厳しい声をかけた。
「君は選ばないといけないんだ、四つの選択の中から進む道を。いつまでそうやって逃げ続けるつもりなんだい」
 刺さる声を、私は無視した。わかっている。逃げても回り続けるだけで、終わらないだなんてこと。右回りから抜けるには、選ばないといけないことも。
「僕は待ってるよ。いつまでも、ここで」
 甘い声が遠くに、目の前には新しい事故現場の十字路が遠くに見えた。
 ああ私。いつまで回り続けるんだろう。いっそのこと、あの男に。

 

 

 

 

 

 

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〈 右折 〉を繰り返す。

 

革ベルト

「お兄さん……? それ、どうするの」
 安物の革ベルトで家具に拘束された少年が、心配と恐怖を交えた声を絞り出した。
 目線の先には、錆びた鋸を手に持った二十代前半の男。
「どうするって。鋸ってのは切り落とすために使うもんだよ」
 よっこらせと少年の脇に座った男が、ソファの足に縛られた少年の腕を触った。
「やだ、やだ」
「あー血。どうっすかな、出るよな、まあいっか。下手にビニール敷くのも面倒いし、ヤりたいときにヤりたいし」
「ねえ、ねえってば」
 少年の声は男に届かない。しっかりと張られた腕を確認した男は、鋸を握り直して構える。
「まあ、お前が悪いから、仕方がないよな」
「や」
 言い終わる前に、男は少年の肘から下に鋸を入れ始めた。
 行動停止を求める声は、劈く絶叫へと変わる。
 力任せに入った鋸が、少年の細い腕に付いた肉をひき肉のように半壊させて、血混じりに落ちていく。溶けた氷のように。
「そうなるよなあ。中学のときに技術の授業思い出すわ。木の粉みたいのがうざかったっけ。今そこまでやった? あれ、お前中学生だっけ。小学生だっけ」
 男の質問に、涙と涎を撒き散らす少年は答えない。
「答えろよ。お前が悪いんだからさ」
 少年の脇腹を小突きながら、男が笑って言った。鋸は骨へと到達し、肉を砕く音とはまた別の音を奏でている。
「でも、これで懲りたろ。近所の優しいお兄さんだからって、慢心して調子乗っちゃって。あーあ、お前が学校のこと自慢し続けなければ、俺の〈可愛かった頃〉なんか思い出すことなく、滾ることもなかったのになあ」
 腕を通過した鋸が、床へと着地した。一息ついた男は反対側へと周り、またすぐに少年の腕を切断し叫ばせる。
「本当なら〈可愛かった頃〉の俺を犯したかったんだけど、まあお前、俺に似てるし、我慢するわ」
 そう言った男が今度は優しく微笑み、涙を流した。
「お前ぐらいの時さ、こうやって腕を切ったらどうなるかとか、すげえ興味があったんだよね。切るのも切られるのも。いや、切られる方が興味あったかな。やあ、夢が叶ったよな。俺も、お前も」
 コツを掴んだ男がさっきより早く、少年の腕を切断する。血をぼたぼたと流す肘から下が離れて無くなった。
「声、出るか?」
 虫の息。目をぐるぐる泳がす少年は何処か壊れている。
「出ないか。まあでも、これでお前も俺ってわけだ。俺が〈切断されなかった俺〉なら、お前は〈切断してもらえた俺〉ってことだよな」
 自分の言った言葉に、男は納得していく。
「……久しぶりじゃん。愛してる。愛してるよ」
 そう言って、愛おしさに男が少年を抱きしめる。
 少年がいずれ自身になる予備軍だと信じて。

 

 

 


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〈 予備軍 〉
〈 慢心 〉
〈 肘 〉

 

世人柱

「順を追って説明しますね」
「はい」
 秋の入り口に立つ、夜の神社の中。
 巫女装束のお姉さんの優しい声に、私は事務的な返事をした。
「まず、貴女は私に殺される必要があります」
「殺される、ですか」
「あっ、殺す……というか、そのすみません。わかりやすい言葉で説明してるだけなので、気にしないでくださいね」
 目尻を細めてお姉さんが可愛く笑う。例え、その笑顔がどんなに可愛くても「殺す」という言葉は私の中に強く印象に残った。
「ここで見事に殺されると、疲労も眠気も溜まる余計な身体と、末長くおさらばできるわけです。あ、あ、これはリラックスしてもらうために、私の偏見を言ってるだけなんですけどね」
「はあ」
 相変わらず優しそうに、にこやかに話すお姉さんに私も微笑んでしまう。
「本来、死ぬと身体から魂が離れてユウレイになるんですけど、今回は私の魔法を使って一気に〈世人柱〉へと昇華させます」
 恐らく「ユウレイ」も「魔法」も、お姉さんの言う「わかりやすい言葉」に変えてくれているのだろう。
「その本当だったら、ユウレイになってからじゃないといけないんですか?」
「実はそうなんですよ。正確には、やることのなくなったユウレイが、自然と〈世人柱〉になるんです。ただ正確な手順を踏んでいない分、割と脆いんですけど」
「じゃあ、手順を踏んだ〈世人柱〉は」
 私の質問に、お姉さんは思いっきり、まるで安心させる母のように、笑って答える。
「でっかい怪獣が現れて、世界をボロボロにでもしない限り、崩れて壊れることはないです! 世界の秩序を無為に……平穏を保つための〈世人柱〉なのです」
 ああ、良かった。なんて口に出していたら、お姉さんに心配されたかもしれない。
 生きるのも、思考するのも嫌になって、この神社を訪れたのだから。
 私が安堵した表情を見て、お姉さんが視線を泳がして次の言葉を探す。
「ああ、そういえば、どんなタイプのモノを希望しますか? 〈力〉とか〈雨〉とか、漢字一文字で表せるモノになら、なんでもなれますよ」
 そうか、何の〈世人柱〉になれるか選べるんだ。
 私は……
「じゃあ〈夜〉って、大丈夫ですか」
 思考を放棄出来なかったあの黒の時間。悩める誰かを支えるなら、私はなりたい。
「全然大丈夫ですよ。さて、どうしましょう。心の準備とか……」
「出来てます。いつでも」
 そう言って私は、まっすぐとお姉さんを見た。自分なりの覚悟の眼差しを受け取ってくれたのか、お姉さんが立ち上がる。
「わかりました! でしたら、始めましょう」
 優しい声を崩すことなく、力強くそう言ったお姉さんは刀を手に持った。
 案内された私は二十七本の蝋燭に囲まれた中央に、死装束を身に纏い正座する。
 今、心にあるのは果てしない安らぎだった。先のことを悩む必要のない、全てからの解放への、安心。
 正面に座ったお姉さんが刀を構えて何かを呟き、私の心臓を深く突き刺した。

 

 

 

 

 

 

 

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〈 昇華 〉
〈 霊び 〉
〈 無為 〉

僕が知らない時間

 今、僕が死のうとしてる話から、少し溢れるんだけどさ。
 元々、貴方としていた「一年賞を取る」って約束が守れなかったからじゃん。実はアレ、締め切りそのものが守れてなかったんだよね。うん、えっとつまり、作品そのものを出せてなかったんだ。いや隠してて悪かったって。いいじゃん、知ったところで死ぬ原因とは関係無いんだし、さ。うん。続けるね。まあ締め切りを守れなかったのは様々な理由があって、その九割は僕が悪いんだけど。疲労って、どうしようもなくない? なくない。そう。厳しいなあ。眠気は? 生活力不足。だよね、野菜ジュース足りない感じ。そうやって厳しい割には、死ぬ僕を止めようとして……まあそれも、厳しい故か。ちなみに何故、隠し通せたか。思い返してごらん。今回の件の関係者たち、貴方とも繋がりのある人たちを最近見かけただろうか。その顔、その通り。関係者全員僕がハチオジ送りにしてやったのさ。
 貴方に知られたくなくてね。証拠隠滅なんて図々しい真似、普段は……いや割と図々しい人生は送ってきたモノでした。いや、話が溢れに溢れているね。溢れてしまったものはもう掬えないけど、溢し直すことは出来るよ。一旦戻って、えっと、そう、僕は死のうとしてたんだ。さっきは原因と関係ないって言ったけど、ごめん、本当は作品出せないから死ぬ。で、約束してた賞は取れなくて、実はそもそも作品を僕は出していなかった。で九割原因は僕にあるけど……ってところまで戻るよ。そう、一割。これが話したい溢れ話なんだ。僕ね、作品を作るための期間中、よく街に出てたじゃん。普段よりも。だから〈在る場所の僕が知らない時間〉にも遭遇してたわけ。例えば〈平日午後二時のレンタルショップの裏路地〉とか、今まで知らなかったみたいな。知らなかったんだよ。でさ、水曜午後四時ぐらいかな、駅前に行くといつも溢れんばかりの人がいるのに、その時間に行くと全く人がいないことに気付いたんだ。水曜午後四時だけ。いや時間的にも人がたくさんいてもおかしくないのにね。だけど一人だけ、いつもそこにいる子がいる。
 猫目で、黒髪のショートヘアボブなんだけど、髪のセットに失敗したみたいな女の子。緑色のニットワンピースをいつも着てるんだ。ほら、あのアイドルグループの子に似てるよ。まあ出現条件諸々含め、確実に人間ではないんだけどね。だから面白いし、作品のネタになるかなって思って話しかけると、いつも、
「一緒に待ってほしいの」
 ってぼそっと言うの。それ以外言わないんだ。シャイだなあと思いながら、こっちから一方的に話して、作品のネタの整理したりして。気付けばそのまま午後八時とかになって、だけどまた水曜午後四時に行けば会えて。そんな虚無な待ち合わせに、僕は毎週付き合っていた。だから、つまり、作品も仕上げずに、ね。うん。
 こう話してると、この一割、僕のせいだな。十割悪かった。まあそんなわけで、なんでこの話を貴方にしたかって言うとですね。僕が死んだこととか、作品のこととか、全部その子に話して欲しいんだ。いや図々しいよね。ごめんって。
 一先ず僕は死にます。今まで楽しかったし、幸せだったよ。
 死後があれば、またよろしくね。

 

 

 

 


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〈 こぼれ話 〉
〈 図々しい 〉

 

本当の街

 誰に何を誘われるわけでもないまま、俺は高校から家へと真っ直ぐ帰った。制服のネクタイを解き、中途半端にワイシャツのボタンを外して、ぐしゃぐしゃのベッドへと転がる。
 外を見れば真っ青な空。まるで、まだ休むには早いぞとでも言ってるみたいで、罪悪感が湧いた。しかし、だからと言って何をしよう。勉強をするのにも範囲が思いつかない。読む漫画だってない。
 何かをしなきゃいけない。そんな気持ちがなくなればいいのに。
 どうしようかと考え始めてから三十分が経って、俺はやっとベッドから起き上がった。とりあえず駅前の本屋へ漫画を買いに行こう。ボタンだけ直して、制服のまま玄関の外へと出る。
 すっかり秋を迎えて、外は文句のない気温を保っていた。駅のある方へ一歩を踏み出したとき、街内放送の合図であるチャイムが、空に響いた。
 緩いリズムのチャイム、ジーとノイズが入って、女の人の声で放送が流れ出す。
『緊急放送、緊急放送です。街が落ちました。この放送を聞いた住人は、速やかに、街の中心へと、避難してください。街が落ちました。この放送を聞いた住人は、速やかに、街の中心へと、避難してください』
 街が、落ちた? 一体どういう意味だろう。空は相変わらず小鳥が飛んでいて、危機に近いざわめきも特に聞こえない。だけど〈緊急〉と〈避難〉という言葉には従うだけの、十分な説得力がある。
 街の中心、あの坂を下った辺りだったっけ。
 この放送を聞いた住人。普段その放送の内容に含まれることがないだけあって、俺は街の中心、駅の正反対へと向かうことにした。
 ある程度歩いて、また放送のチャイムが鳴る。
『急いで、ください』
 ゆっくりとした声で、ただそれだけが放送された。まるで歩いて向かってることを見透かすように。俺はその放送にまた従って、少し急ぎ足で向かうことにした。
 何から避難しているのかわからないまま、急ぎ足で向かい始めて五分。俺はとあることに気付いた。
 誰も、避難をしていない。
 あと少しで下り坂というところで、街角で話す爺さん婆さんを見かけた。放送が聞こえていないんですか、と声をかけようとして、見計らったように放送のチャイム。
『急いで、ください。この放送は、貴方にしか、聞こえていません』
 その言葉の意味を理解するのに、聞こえている俺が〈貴方〉だと理解するのに、数秒かかった。一体どういう。
『急いで、ください。すぐそこまで、迫っています』
 ノイズ混じりの放送が終わるの同時に、カン、と金属を叩く音が、来た道の奥から聞こえた。
 カン、カン、カン。
 叩く音は少しずつ強くなって、リズムを速めて、近付いて来ている。
『急いで、ください。貴方、だけです』
 再び流れた放送を合図に、俺はダッシュで走り出した。音から感じ取った危機感。それは恐らく、その音が力を込めて、何かを叩いているように聞こえるからだ。
 まるで絶対に壊す、そんな意思を込めて。
 下り坂へと入り、走る足に勢いがついた。何かを叩く音はいつの間にか一つから複数へとなり、すぐそこまで迫っている。
『そのまま、まっすぐ』
 下り坂の終着点。恐らく街の中心であろう場所は、真っ黒な穴が空いていた。
 穴を覗いてみる。一旦立ち止まる。音に立ち向かう。
 そんな選択肢を選べないまま、走る勢いは止まらず、俺は街の中心へと落ちていった。
『……貴方は、本当の街へと、落ちました。貴方は、本当の街へと、落ちました』
 浮遊感の中、放送が穴の中で響く。
『さようなら』
 別れを告げる放送と共に、身体が放り出される感覚。地に足がついて、浮遊感の中で閉じていた目を静かに開けた。
 灰色の……モノクロの空。
 目の前には色が失われた、どこか面影のある寂しい街が広がっていた。
 温度のない風が俺の頬へと当たる。
 放送の通りならここが〈本当の街〉。
 見慣れないはずの景色に、なぜか俺は、懐かしくなった。

 

 


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〈 中心 〉